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『じゅえりーいはら』ってどんなお店?

『じゅえりーいはら』ってどんなお店?

    じゅえりーいはら沿革

  • 1973年

    布施万代百貨店内のジュエリートクヤに入社。
    これをきっかけに宝飾業界に入る。

    • 石油ショックによる物価急上昇
    • 祝日法改正(振替休日制の導入)
    • 日本電信電話公社が電話ファックスサービス開始
    • 下関-門司を結ぶ東洋一の吊り橋、関門橋が開通
    • トイレット・ペーパー,洗剤などの買いだめ騒動
    • 関東大震災から50年目で“地震”ブーム
    • 奈良テレビ放送開局
    • 資源エネルギー庁発足
    • ノストラダムスの大予言が出版される
    • 島が第54代横綱に昇進
  • 1979年

    ジュエリートクヤが福井市に移転。
    長女あゆみが生まれたのを機に独立。
    当初は、外商・催事・訪問販売を中心に事業を展開。

    • インベーダーゲーム大流行
    • 第2次石油ショック
    • 第1回東京国際女子マラソンが開催
    • 自動車電話サービスを東京23区で開始
    • ト『ドラえもん』放送開始
    • 大阪駅前第3ビルが竣工
  • 1984年

    東大阪市布施本通商店街でじゅえりーいはらを開店する。
    お客様の要望によりジュエリートクヤで仕込まれた宝石修理ジュエリーリフォームも始める。

    • 1万円(福澤諭吉)・5千円(新渡戸稲造)・千円(夏目漱石)の新札発行
    • グリコ・森永事件
    • ロサンゼルスオリンピック開催
    • 日本初の衛星放送始まる
    • 日経平均株価が初めて10,000円の大台を突破
    • 第1回名古屋国際女子マラソン開催
    • 三陸鉄道が開業
  • 1987年

    開店3年目で類焼火災被災。

    • 地価の異常高騰、財テクブーム
    • 利根川進博士、ノーベル医学・生理学賞受賞
    • 俳優・石原裕次郎が死去
    • マイケル・ジャクソンが後楽園球場で来日コンサート
    • 国鉄が分割・民営化され、JRグループ7社が発足
    • 郷ひろみと二谷友里恵が結婚
    • おニャン子クラブが解散
    • 沖縄で金環食を観測
  • 1994年

    長男一成がじゅえりーいはらに参加する。

    • 日本人初の女性宇宙飛行士・向井千秋さん宇宙へ
    • 関西国際空港が開港
    • 大江健三郎氏がノーベル文学賞受賞
    • リレハンメルオリンピック開催
    • オウム真理教によって松本サリン事件発生
    • 各地で記録的猛暑
  • 1998年

    ジュエリーの原型作り「ワックスモデリング」の製作を開始。
    デザイン画を描きジュエリー製作を始める。

    • 冬季長野オリンピック開催
    • 第16回サッカーW杯仏大会に日本が初出場
    • 映画「タイタニック」ブーム
    • 和歌山毒物カレー事件発生
    • Windows 98発売
    • 郵便番号7桁化
    • X JAPANのギタリストhideが永眠
    • 映画監督の黒澤明が死去
  • 2000年

    ジュエリー鋳造機を導入し18金プラチナジュエリーのキャスティング製作加工を始める。

    • シドニーオリンピック開催(金5 銀8 銅5)
    • 白川英樹名誉教授がノーベル化学賞を受賞
    • iモードブーム(出会い・着メロ・待ち受け等)
    • イチローが野手として日本人初の大リーガーとなる
    • 三宅島噴火で全島民避難
    • 新紙幣2000円札発行
    • 新五百円硬貨発行
    • BSデジタル放送開始
  • 2004年

    インターネットホームページ「作って・直せる・宝石屋さん」を立ち上げる。

    • 新潟県中越地震(死者68名)
    • 日本で新紙幣発行(1万円札が福澤諭吉、5千円札が樋口一葉、千円札が野口英世)
    • 九州新幹線新八代駅~鹿児島中央駅間が開業
    • 運転中の携帯電話使用が罰則対象に
    • シアトル・マリナーズのイチローがシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新
    • 鳥インフルエンザ
  • 2005年

    ホームページのコンテンツであるジュエリーお役立ち情報などから
    修理リフォームの問い合わせが増え全国からご依頼が届くようになる。

    • 日本プロ野球 セ・パ交流戦が開幕
    • JR福知山線脱線事故
    • 宇宙飛行士野口聡一がスペースシャトル「ディスカバリー」で宇宙へ
    • 日本の人口が1899年の統計開始以来初の自然減
  • 2008年

    全国のお客様からのご依頼件数が年間1500件を超える。

    • 北京オリンピック開幕(金9 銀6 銅10)
    • 小林誠・益川敏英・南部陽一郎の3名がノーベル物理学賞受賞
    • サングラス代わりに「だて眼鏡」ブーム

井原富生/社長

はじめまして、じゅえりーいはら社長の"井原富生"です。

東大阪の布施の商店街で商売をはじめて36年です。 たくさんのお客様、職人さん、問屋さんのおかげで商いをさせていただいております。

45年近く前になりましょうか?私が若かりし頃、布施の万代百貨店の中の"トクヤ"という宝石店で勤めていました。 師でもあり社長であった親方に宝石屋として育てていただきました。 親方の実家は西区江戸堀靭公園の北手にありました。 親方のお兄さんもジュエリーに携わる仕事をされており東陽商事という会社でした。

私が丁稚だった頃から売るだけではなく修理加工の仕事も承っておりました。 当時も修理加工などを請け負っいる店は少なく修理させて頂くとお客様には本当に喜んでいただけました。

どうして修理加工などを請け負っている店は少なのかといいますと、 ジュエリーはハンドメイドで一点物が多く、また宝石・構造・加工法・金属の種類によって どこに危険が潜んでいるのか熟練しないとわからないことが多く それに販売することに比べると危険が高いわりに儲からないからではないでしょう?

それと、失敗してしまうととても怒られます(笑)

販売することは非常に景気に左右されますが、修理加工は比較的安定してお仕事をいただけます。 不況風吹き荒れる中でもジュエリーの商売を続けさせていただけているのもお客様はもちろん親方の おかげかなぁと考えたりします。

宝石というものは永遠性のあるものです。 買われた時の価値もさることながらその宝石と過ごした時間が長ければ長いほど お客様の宝石に対する価値が増していくようです。

そして、その宝石は子へと孫へと受け継がれてゆく。その過程において修理・加工はなくてはならないものです。 たとえ人口石のキュービックジルコニアだったとしてもお客様にとって大切な宝石です。 宝石とは何万年何億年という長い歳月をかけて地球が育んだ宝物であると同時に、お客様の手もとで長い歳月を経て 想い出という付加価値を育んでゆくものです。

宝石というものは人生の節目で手に入れられる、もしくは受け継がれてゆくものです。 誕生日・結婚・出産・入学・卒業・就職・成人と想い出となるものです。 使えば手入れが必要なのは当たり前のことです。

「修理・加工・手入れ・リフォームさせていただくことは、宝石商として当たり前のことである。」と 親方から教えられました。他のお店で買われた物でも、外国で買われた物でも出来そうなものは一生懸命努力します。 出来なかったらごめんなさい。どうぞお気軽にご相談下さいませ。

宝石業界の片隅で長年商いをさせていただいておりますが、 お客様が笑顔で機嫌よくジュエリーを身に着けていただきたい。 どこで買ったものでも 『井原にもって行けばなんとかなるだろう。どうにかしてくれるだろう。』 宝石に関するお客様の悩みを解決することが私たちの使命だと考えております。

どうぞお気軽にご相談ください。たまには指輪も買ってくださいね。(笑)

井原富生
昭和22年7月生まれ
いのしし年 しし座 O型
布施私立弥刀小学校卒
布施私立第3中学校卒
立命館大学卒
娘1人 息子1人 孫1人
趣味:ピアノ・エアロビクス・読書

井原一成/職人

こんにちは。じゅえりーいはらの職人、井原一成です。

主に、WAX,,錺職、修理をしています。 お客様のジュエリーにまつわるお悩みを、解決するべく 努力しております。 どうぞ、お気軽にご相談下さい。

物を造るということは、腕も関係しますが、やはり、お客様のコミュニケーションが大切です。 それは、職人仲間で一緒に仕事するときもそう、ジュエリーというと 一人で1個1個作っていると思われがちですが、少なくて2人、多いと 5人以上の職人の手を経て1個のジュエリーを作るのです。 お客様も含めた全ての人が上手くコミュニケーションが出来ないと良い物は出来ないと思う今日この頃です。

5歳の頃平野区に引っ越しし、母が美容室を開店する。 年末などは朝早くから夜中まで本当によく働く母親で、料理も上手く家事もきちんとこなしていた。 大阪市立喜連小学校に入学手伝いでパーマのロットを洗うのがイヤでしょうがなかった。 急いで遊びに出かけようとして店の入り口のガラス戸に飛び込みアゴを7針縫う大けがをする。 その傷は今でも残る。

楽しい少年野球に明け暮れた小学校時代。 少年野球と同じつもりで入部した中学校の野球部。 先輩の世話をするのが納得できず反抗し、しごきまくられ1年で退部。 自由な校風の東住吉高校に憧れ「人に出来て俺に出来ないわけがない。」と落ちこぼれから猛勉強のすえ合格。 定期テストで85点取ったときの英語教師の驚きの顔が忘れられない。

憧れの高校に入学するも、勉強について行けず授業中もひたすら読書の日々が続く。 放課後は父の店でアルバイトするようになる。日当は1日1000円。。。 お金がもらえるのが嬉しく喜んで行ってました。

大阪芸術大学進学を決意。 漠然と父がたずさわるジュエリーの世界に進みたいと考え、デザインを勉強するために大阪芸術大学に進学。 必死で身に着けたデッサン力(観察力)が現在の仕事に大いに役立つ。 卒業後迷うことなくじゅえりーいはらに就職。門前の小僧式に仕事を憶える。 父は仕事を教えてくれない。言われることは、行け!やれ!のみ。あとは自分で考えろと。 とにかく、行動しろとたたき込まれる。即実践!!行動派のルーツはこの教育方針にあるかも??

工具店のつてで宝石職人組合技稜会に入会し、現代の名工丸川隆英氏なにわの名工多田孝之氏に 出会い最高峰の宝石職人達の仕事に触発されジュエリー加工技術に磨きをかける。

ジュエリーを製作・修理・加工・販売してお客様の喜びを知ると同時に お客さんの「タンスの肥やし」という声を聞くたびに心が痛んでいました。 流行、世代が変わるとデザイン、嗜好は変わるものです。ジュエリーは親子3代受け継いでいけるものです。 女性に笑顔で毎日を過ごしていただきたい。 斉藤ひとりさんいわく宝飾品オシャレは女性にとってなくてはならないものなのです。

地元大阪のみならず、全国の宝石で悩むお客様の悩みを解決し 今までに16489点(2015.3月末現在)ものジュエリーを美しく蘇らせ 東大阪地域一番店となり「作って、直せる、宝石屋さん。」と呼ばれ その活動がよみうりテレビ大阪ほんわかテレビなど、マスコミに大きく取り上げられた。

私生活で熱中していることは体を動かすこと。 フルマラソンのトレーニングで月間走行距離は300キロを超える。 今年こそフルマラソンでサブスリー達成を目指す。ベストタイムは2:54:18達成。 歴史街道丹後100キロウルトラマラソン9時間以内に完走のサブ9に挑戦中 完走5回ベストタイム2013第13回歴史街道丹後ウルトラマラソン100キロ一般の部 9時間16分17秒30位/1170名 走る合間に登山を楽しんでいます。

井原一成
1974年生まれ
みずがめ座 A型
大阪市立 喜連小学校卒
大阪市立 喜連中学校卒
大阪府立 東住吉高校卒
大阪芸術大学卒
東大阪市在住 妻・長女(中学2年)

うちの"おかん"/娘:みづき

こんにちは。じゅえりーいはらの職人、井原一成です。
ウチのオカンの話をします。

オカンはついこの9月いっぱいまで平野でパーマ屋をやっておりました。 37才の私が5才のころからしてましたので32年やっていました。 それまでは長瀬駅前のローズという美容室で働いていたそうです。(当時は駅前に映画館がありました。) そこで働いていた頃パーマ液などの材料屋さんで寿町の松代商店さんの紹介で やめたパーマ屋さんをそのまま引き継いで縁もゆかりもない平野でパーマ屋をはじめたのです。 オカンに向かってはまだ、オカンとはよう呼びませんが、小さいときはちゃんとお母さんと呼んでいました。 子供が生まれてからはおばあちゃんとか、イソエちゃんとか呼んでいます。 ここではオカンと呼んだほうがいいかなと思いそう呼ばせてもらいます。

幼いころは家で商売をしていることをあまりええように思っていませんでした。 なぜかいというと家には入り口がひとつしかなく家に入るときも出るときもオカンの横を通り お客さんの横を通らないといけなかったのです。当たり前のことですが、挨拶をしないで通ると怒られました。 心に後ろめたいことがあると、オカンの横を通る時にカニ歩きになりよく悪事を摘発されました。

昔のパーマ屋は年末になると休みもなく本当に忙しく大晦日などは年を越すところまで仕事をしていました。 パーマ屋はなんちゅう大変な仕事やと思いました。 このオカンを見て育った妹は公務員として岸和田の中学校で働いています。 今は産休をとり新春には女の子が生まれるそうです。 そういえばこの妹が生まれるその日もオカンは店でパーマをしていました。 大きな紙袋を持たされてオカンと病院に行ったのを憶えています。

どんくさい私はオカンから逃げればいいものをよくオカンにつかまり手伝わされました。 パーマで使うロットを洗えとか、ペーパーを広げろとか、タオルを脱水機にかけろとか、 床の髪の毛をはけ、晩御飯のコロッケを買いに行けとか手伝わされました。 とくに8才年の離れた妹を保育園に迎えに行かされました。 そして次の日には学校で「子連れオオカミ」と呼ばれるようになりました。 忙しくしていた割には質素な生活でした。そのうちオヤジも店を出し じゅえりーいはらを始めました。

うちのオヤジはオカンが店に来ると必ず「商品の半分はお前のもんや。好きなもん持って帰り。」と こう言われると持って帰りにくいようで(笑)売れ残りを3つしか持って帰っていません。 あまり昔のことは話してくれませんがオカンのおかげで今店があるんかな~と思います。

家で商売していると引っ越しするわけにはいきません。子供心に友達は自分の部屋がある普通の家やのに なんで俺はぼろい家で自分の部屋もないのかと思ったものです。 オカンがパーマ屋をやめるにあたっては誰も何も言いませんでした。「そうか。」てなもんです。 小さい店ではあるけれど、それほど忙しいわけではないけれど、 女ひとりだけで商売をし続けるのは大変なことだった思います。 普段は一見大人しそうですが怒らすと一気に沸騰して非常に怖く 3回くらいしか本気で怒らせたことはないと思います。

カンは兵庫県浜坂の出身で地元中学卒業後、京都に出て美容師見習いで 住み込みで働きながら学校に行かせてもらいその京都でオヤジと出会ったそうです。 その当時からオヤジはナンパの達人だったのでしょう。

なかなか面と向かってはよう言いませんが長い間お疲れ様でした。 じゅえりー通信に載せるとそのうちオカンもこれを読むことでしょう。  私が結婚して家庭をもって子供をもって思うことはウチのオカンは精一杯ガンバっとったんやなあと思います。

自分のオカンには面と向かってよう言わんので読んでくださっているたくさんのオカンに 息子さん娘さんの代わりにありがとうございますと言わしてもらいます。 おかあさん。ありがとうございますお疲れ様でした。

うちのオカンは今は初めての主婦業を楽しんでおりますがそのうち退屈して店に出てくることもあるかもしれません。 その時はこの人が元パーマ屋のオカンやなと思ってください。 宝石の悩みには答えられませんが、髪の悩みにはある程度こたえられると思います。 最後まで読んでくださいましてありがとうございます

家族
うちの"おかん"と娘の"みづき"です

じゅえりーいはらスタッフ

事務を担当しております。松永です。趣味は刺繍・陶芸・ちりめん細工です。
ネックレスの糸替え・ホームページ製作を担当しております。芳です。

米澤孝生
WAX・錺職人 米澤孝生
内堀淳二
錺職人 内堀淳二
修理のことなら何でもござれ。日本中から無理難題の修理依頼が舞い込んできます
米澤孝生
地金取扱分析精錬
幸前成一
イエローゴールド・ピンクドールド・ホワイトゴーリドまたその中にも 四分六・六四・五分五分など同じように見えても硬さや軟らかさの違う地金があります。 そんな地菌を合わせるのが私の仕事です。
米澤孝生
彫り職人 福永雄久
石留めは、ジュエリーの仕上がりを左右する重要な工程で石留の職人の腕の良し悪しで ジュエリーの出来上がりが左右されると言っても過言ではありません。